不行而知 今回は不行而知(ふぎょうじち)です。 聖人は行かずして知る、そこに行かなくても知ることが出来る、と言うことです。 エスパーじゃん。 起こることは、人間のすること、自然のすること、ですから予測が可能と言えるでしょう。 「こういうことが起こった」と聞けば「その本質を理解することが出来る」ということですね。 いやいや、判らないでしょ。 私利私欲なく、誰かの視点ではなく関わる人全てがどう考えるか判れば結果はおのずと判るということです。 いや、判んないって。 出典は「老子道徳経」世に言う「老子」でした。