第1章 中村修二さんの怒り──莫大な利益とわずかな報酬(1993〜2005年頃) 1993年、青色LEDの開発に成功し、勤務先の日亜化学工業にもたらした経済的利益は数百億円とも言われている。しかし、技術者としての貢献に対する評価は低く、報酬もわずか。中村修二さんは2001年に会社を提訴し、2005年に約8億4000万円の和解金で決着。その後、アメリカに拠点を移し、2014年にノーベル物理学賞を受賞した。彼が発した「私は勝った」という言葉には、日本型雇用と評価制度への静かな怒りが込められていた。 第2章 ウォール街の若手──数十億円の成果と不満の構造(2020年代) 現在、米国ウォール街の金融機…