アマチュア野球選手・指導者。 右投左打、ポジションは一塁手。
西日本短期大学附属高校の主将として甲子園で活躍。新庄剛志の2年後輩。
1992年、全国高等学校野球選手権大会で、森尾和貴と共に全国制覇。
卒業後、早稲田大学に進む。 1998年、早稲田大学のコーチに就任。
2001年、日本文理大学の監督に就任。
2003年、吉川輝昭・脇谷亮太を擁し、全日本大学野球選手権大会で、九州の大学として初めて優勝に導いた。
同年、大学日本代表の監督を務める。