正徳4年7月9日。7月4日に評定所で尋ねられたことがあった。それは以前御目付仙波七郎左衛門へ嫁ぎ、離別して戻った源四郎の妹のことであった。先ごろ源四郎若党と刺し違えてお互い死んでしまったことが、源四郎から主殺しだと訴えがあり、吟味があると云々。あるいは若党が密通した妹を切り殺し、自害し損ねたのを源四郎から主殺しと届けがあり、吟味したところ源四郎が言いつけて殺させたことを白状し、このため源四郎も頭へ預けると。若党と源四郎は実は従弟で居候であったと。若党は揚屋に入り、源四郎は罰することなく、奉公するようにと云々。月光院様の縁と云々。