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主知主義

(社会)
しゅちしゅぎ

  主知主義(しゅちしゅぎ)とは、人間の精神を、知・情・意の3つに分けた場合に、
そのうちの「知」、つまり「理性」に「主」にする、近代合理主義に含まれるもので、
理性によって真理に到達ないし近づくことができるというものである。

 これは近代の成立以降、20世紀前半、主には第一次世界大戦以前までの間での、
理性万能主義が華やかなりし頃、19世紀後半に誕生した心理学から派生した認識論に
基づくものであるが、「知」によって得られる観念の正しさ、その観念の実在の肯定は、
古くはプラトンのイデア論に遡る事ができる。

 ただ、「合理主義」ではなく「主知主義」とあえて使われる場合を考えると、
ここにおける「理性」とは、さまざまある理性概念でも、実践理性的な意味合いが強いかと思われる。
なぜならば、先述の理性万能主義の時に期待されていたように、
「人間は感情や合意などによらずとも、理性を用いてよりよい正しい世界へ
社会を近づけることができる」という、進歩主義的な文脈で「主知主義」という
単語が用いられ、哲学の中でも政治哲学や社会哲学などにおいて用いられることが
多いからである。

  これに対しての批判として、ウィルアム=ジェームズの主張する、プラグマティズムがあるが、
これは主知主義か主意主義か、合理主義か経験主義か、などの二元論に別れ論争されていた認識論を
中心とする哲学・思想において、心理学的立場から、人間は合理的とも経験的とも、どちらともつかない
多元的な存在であり、少なくともどちらか一方の側に完全に依拠したものは危険であり、
人間の生活上、有用性のあるものが選択されていき、それが「妥当」なものである、
という有用主義を唱えた。

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