大道芸で食っていた声聞師たちであるが、それぞれが勝手気ままに町中を徘徊し、芸を行っていたわけではない。混乱や争いを避けるために、彼らなりの仕来りがあり、縄張りもあっただろう。つまり彼らを仕切っていた組織があった、ということである。 こうした組織として、奈良にあった「五カ所」と「十座」が有名である。両組織を統括する立場にあった、興福寺・大乗院の史料が豊富に残されているから、詳細な研究が進んでいるのだ。 両者は大和における声聞師の指導者的立場にいた集団で、いわゆるひとつの「座」を形成していた。まず「十座」は、大和数十カ所に対する声聞師の座頭として、「七道に対する自専権」を持っていた。そして「五カ所…