『京都ぎらい』は読んだことがないけど、井上 章一さんはとかくいわゆるほんまもんの京都から差別された京都市の京都じゃないところに生まれたルサンチマンを全力で爆発させている人、というのはなんとなく知っていた。ぼくみたいな大学の頃から外からやってきて左京区でフラフラしている人間からすると、こういう機微とかイケズみたいな感覚はさっぱりわからない。すくなくともぼくが知る範囲の京都という町は、おおらかで流れ者に優しい町だと思っている。それが京都の深淵をのぞいいていないだけなのか、はたまた鈍感さによってイケズに気づいていないのかというのは気になっている。 それでもって、さらにパリまでからめて対談するというの…