一方、平家首脳の間では、 高倉宮の子供たちが八方手をのばして追求された。 宮には腹違いの子供が多かったのであるが、 その中に八条女院に仕えていた伊予守盛教の娘で 三位局《さんみのつぼね》と呼ばれた女房には、 今年七歳の若宮と五歳になる姫宮がいた。 清盛入道の弟|池《いけの》中納言|頼盛《よりもり》は 使いとして八条女院の御所を訪ね女院に言上した。 「姫宮については何も申しませぬ。 若宮を当方に引渡して頂きとう存じます」 「今はもう遅うございます。 若宮お召出しという噂がここにも伝わった暁方、 乳母たちが浅はかな考えから若宮を連れ出してしまいました。 この御所にはおりませんし、 私もどこへかくれ…