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以仁王

(一般)
もちひとおう

以仁王(1151年ー1180年)
後白河院の第3皇子。養母は八条院。兄弟は第1皇子は二条天皇(異母兄)、第2皇子は同母兄の守覚法親王、第7皇子(異母弟)の高倉天皇など。
高倉天皇中宮建礼門院の妨害により親王宣下を受けられなかったと言われる。また父・後白河法皇とも養母の八条院の実母の美福門院と後白河法皇の実母の待賢門院<※共に鳥羽院の妃>と不仲であったことが遠因となって疎遠であったと伝えられる。(※一部歴史資料には、母の身分が低かったため親王宣下が受けられなかったとの記述がみられるが、実母の藤原成子は、父の後白河院の実母の待賢門院の姪であり、また養母の八条院<暲子内親王>は、後白河院の異母妹で近衛天皇の実姉であり決して母の家格は低くはなく、「平家物語」などの講談から広まった誤り思われる)


令旨を発し源頼政とともに挙兵する。この際、親王宣下を受けていなかったにも関わらず最勝親王と名乗った。*1以仁王自身はこの乱で殺害されてしまう。
この令旨が諸国の源氏を蜂起させ、また養母・八条院鳥羽天皇より相続した数多くの荘園の武士たちも平家追討に立ち上がっている。

*1:この詐称が後白河法皇の反感を買い、木曽義仲が以仁王の子の即位を促すも退けられてしまったという。

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