源頼政

(読書)
みなもとのよりまさ

平安時代末期の武将・歌人。摂津多田源氏渡辺党の棟梁。従三位であったことから、源三位頼政・源三位入道と呼ぶことが多い。
長治元(1104)年生、治承四(1180)年没。
源仲政の長男。母は藤原友実女。息子には源仲綱(父と共に治承四年没)・源広綱・源仲宗・源頼兼が、娘には二条院讃岐が、養子には弟源頼行の息子源兼綱がいる。
摂津源氏の流れを汲み、摂津国渡辺*1を本拠地とした。
白河院の判官代となり、保延二(1136)年に従五位下、蔵人。久寿二(1155)年には兵庫頭となる。
保元の乱に際しては後白河天皇側に加わり、平治の乱では当初源義朝側に与したが、離反して平清盛側につく。その後も清盛の信頼厚く、仁安元(1166)年に正五位下に叙された後も昇進を続け、治承二(1178)年には従三位となる。
しかし、治承四(1180)年には以仁王を奉じて反平氏の乱を起こしたが、宇治川の合戦で敗北、自害した。
弓の名手として知られ、鵺(ぬえ)という怪物を退治したエピソードで知られる。
また歌人としても知られ、『詞花和歌集』以下の勅撰集に六十一首入集。家集は『源三位頼政集』。

略年譜

1104年(長治元):摂津多田源氏の源仲政(母、藤原友実の娘)の長男として生まれる
1136年(保延2):従五位下に叙任
1155年(久寿2):兵庫頭
1156年(保元元):保元の乱では後白河天皇方に属して勝利
1159年(平治元):従五位上に叙任、平治の乱では唯一、源氏として平氏方で戦う
1166年(仁安元):正五位下に叙任
1167年(仁安2):従四位下に叙任
1168年(仁安3):従四位上に叙任
1170年(嘉応2):右京権大夫に任官
1171年(承安元):正四位下に叙任
1178年(治承2):従三位に叙任(参議)
1179年(治承3):出家。
1180年(治承4):以仁王、平氏追討の令旨。挙兵するが宇治川の戦いで平氏に破れる。その後自害。享年77歳。 法名:蓮華寺建法沢山頼円

人知れぬ大内山の山守は木がくれてのみ月を見るかな
千載集 雑上 978

*1:現大阪市中央区

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