代表的歌人百人の歌一首ずつを集めたもの。藤原定家が小倉山の別荘で撰したと伝える「小倉百人一首」が最も有名で、これを模倣して種々のものが作られた。カルタとして正月の遊びになったのは江戸時代以降。百人首。
なお1首目は「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇) ・・・・・・三省堂「大辞林」より引用
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに (このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに) 菅家 〈現代語訳・口語訳〉 今度の旅は急いで発ちましたので、捧げるぬさを用意することも出来ませんでした。しかし、この手向山に美しい紅葉をぬさとして捧げますので、どうか、お心のままにお受け取りください。 ※菅家(かんけ) 菅原道真のこと。 ※幣(ぬさ) 神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど) 大江千里 〈現代語訳・口語訳〉 秋の月を眺めていると、様々と思い起こされ物悲しいことです。秋はわたしひとりだけにやって来たのではないのですが。 大江千里
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あわしといふらむ (ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ) 文屋康秀 〈現代語訳・口語訳〉 山風がふきおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」というのだろう。
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな (いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな) 素性法師 〈現代語訳・口語訳〉 「今すぐに行きましょう」とあなたがおっしゃったので、その言葉を信じて九月の長い夜を待っていましたが、とうとう有明の月が出る頃を迎えてしまいました。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ (わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ) 元良親王 〈現代語訳・口語訳〉 あなたにお逢いできなくて、このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波のみおつくしのように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。 ※みをつくし 澪標(みをつくし)は、船の入り江を航行する時の目印になるように立てられた杭のことで、身を滅ぼすほどに恋こがれる意味の「身を尽くし」と掛詞(かかりことば)になっています。 元良親王
住の江の 岸に寄る浪 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ (すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひじ ひとめよくらむ) 藤原敏行朝臣 〈現代語訳・口語訳〉 住の江の岸に打ち寄せる浪のようにいつもあなたに会いたいのだが、どうして夜の夢の中でさえ、あなたは人目をはばかって会ってはくれないのだろうか。 ※住の江 摂津国住吉(せっつのくにすみよし)。現在の大阪府大阪市住吉区の海岸のこと。
ちはらぶる 神代もきかず 竜田川 からくらなゐに 水くくるとは (ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは) 在原業平 〈現代語訳・口語訳〉 川面に紅葉が流れていますが神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。竜田川一面に紅葉が散りしいて、流れる水を鮮やかに紅の色に染めあげるなどということは。
立ち別れ いなばの山の 峰に生きる まつとし聞かば 今帰り来む (たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ) 中納言行平 〈現代語訳・口語訳〉 あなたと別れて因幡の国へ行くけれども、稲葉の山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐにも都に帰ってまいりましょう。 ※中納言行平 在原行平のこと。平安時代初期から前期にかけての公卿・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正伊・阿部親王の次男(または三男)。官位は正三位・中納言。小倉百人一首では中納言行平。
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (みちのくの しのぶんもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに) 河原左大臣 〈現代語訳・口語訳〉 奥州のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心も恋のために乱れていますが、いったい誰のためにこのように思い乱れているのでしょう。きっとあなたの所為(しょい)に違いありません。 ※河原左大臣(かわらのさだいじん) 源融(みなもとのとおる)のこと。嵯峨天皇の第十二皇子(嵯峨第十二源氏)。平安時代初期から前記にかけての貴族。嵯峨源氏融流初代。河原院、河原左大臣と呼ばれた。 源融(菊池容斎『前賢故実』)
筑波嶺(つくばね)の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる) 陽成院 〈現代語訳・口語訳〉 筑波山の峯からながれてくるみなの川も、最初は小さなせせらぎほどだが、やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。 ※陽成院 陽成天皇(ようぜいてんのう) (869年~949年) 第57代天皇(在位876年~884年) 陽成天皇は、父・清和天皇から9歳で譲位を受け即位しました。歌合(うたあわせ)を催すなど文才にも秀でており、陽成天皇が詠んだ和歌は後世に伝わっています…