代表的歌人百人の歌一首ずつを集めたもの。藤原定家が小倉山の別荘で撰したと伝える「小倉百人一首」が最も有名で、これを模倣して種々のものが作られた。カルタとして正月の遊びになったのは江戸時代以降。百人首。
なお1首目は「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇) ・・・・・・三省堂「大辞林」より引用
こんにちは。まぴこです。 先日の百人一首書き取りテストで学年1位を取ったさくら。 mapikotan.com 昨日は百人一首大会がありました。 mapikotan.com 1チーム2~3人で、クラス対抗なので他のクラスのチームと対決します。 チームの勝敗も重要ですが、個人の成績でも上位は表彰されるので… チームメイトもある意味ライバルです( ´艸`) 昨年は百人一首を全て覚えているという女王M子ちゃんに次ぐ第2位という個人成績を残したさくら、今年の結果はいかに?! (ちなみに、去年はこの二人が圧倒的で3位以下に大きく差をつけていました。) さくらの今年の個人成績は… 第1位!!(≧▽≦) ヤッ…
こんばんは。三条まなびぷれ~すです。 今回、冬休みのプログラムで百人一首を取り入れていましたが、私自身やったことがなかったので、挑戦でした。お客さんがなかったので、結局、挑戦することができませんでしたが、1日に10首ずつ取り組んでみようと思って、1日から10日まで、毎日十首ずつについて、その意味を知り、歌にある背景などについて学んでみました。 百人一首はかるたとして遊ぶのも面白いですが、その前にやはり藤原定家が選んだ百首を順番に味わい、歌人の時代背景や関係性などを知りながら学ぶのも楽しいなと思いました。 今年はもう少し深く学びながら、来年こそはお正月に子どもたちと一緒にかるた遊びを楽しみたいと…
どうもこんにちは。 今年はたくさんブログを更新していきたいと思っております。 まあ、まだ始めたばっかりなのだけど。 今後ともどうぞよろしくお願いいたしますね。 早速ですが、先日京都に赴きまして、 『逢坂関』というスポットを見てきました。 逢坂関というのは、京都と滋賀県の大津の間にあった関所のことです。 わたくし、小倉百人一首が好きでよく書物を読んだりしているのですが、これはいわゆる『聖地巡礼』というやつ。 逢坂関は、小倉百人一首をはじめ、当時の文学作品にたくさん出現する人気スポットなのですね〜。 そのなかでも、小倉百人一首に掲載された和歌のひとつ、 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知ら…
こんばんは。三条まなびぷれ~すです。 早いもので、お正月3が日が終わります。皆さんはどのように過ごされましたか。 私は冬休みプログラムに「百人一首かるた」を計画していたので、事前に勉強しようと思って、歌を楽しんでいました。実際に百人一首かるたをしたことはありません。もし、参加してくださるお子さんがいらっしゃったら、一緒に学びながら楽しみたいと思っています。 小さいお子さんであれば、普通のかるたでも楽しいと思います。「歴史人物のかるた」や「都道府県のかるた」などもあります。社会の勉強をしながら遊べるので、楽しいかもしれませんね。 お天気がよければ、凧揚げなどもやってみたいです。けん玉やコマ、おは…
正月遊びの一つ。小倉百人一首について簡単な英語説明と一緒に学んでいきます。 1.きっかけ・情報源 今日の本:百人一首解剖図鑑 2.学んだこと ①小倉百人一首を簡単な英文3文で説明すると? ②日本語訳は? ③英語の学び 3.コメントと参考英語動画 4.全国通訳案内士試験問題 5.ブログ内リンク(トップページ含む) 1.きっかけ・情報源 今年は、手元にある写真や本からも日本を英語と一緒に学んでいきます。 今回の本は百人一首。 百人一首(小倉百人一首)を英語で学びます。 今日の本:百人一首解剖図鑑 ↓今年買った最初の本。「百人一首解剖図鑑」。歌人と一緒に平安時代を中心に飛鳥・奈良時代から鎌倉時代初期…
こんにちは。晴田そわかです。 今回の記事では《小学生のための百人一首ガイド|覚えやすい方法と練習のコツ》について紹介させて頂きます。 はじめに 百人一首の基本情報 小学生向けの覚えやすい方法 方法1: 歌を音読しながら覚える 方法2: 音楽やリズムに合わせて覚える 方法3: 絵札を活用する 私のクラスでの百人一首の覚え方 覚えやすくするための工夫 練習のコツとステップアップ法 練習1: 家族や友達と競い合う 練習2: 部分的に覚える 練習3: クイズ形式で挑戦する 百人一首を覚えるメリット 親子で楽しむ百人一首の取り組み方 おすすめの教材とツール まとめ (adsbygoogle = wind…
百人一首第98番目の歌の作者は従二位家隆じゅにいいえたか、藤原家隆です。 百人一首の選者、藤原定家とは、同じく藤原俊成を師とした同門のライバルともいえる人です。 今回は従二位家隆について紹介します。 従二位家隆とは 生年1158年、没年1237年。 前回の藤原定家と同時代に生き、また年齢もとても近い人でした。 性格は温厚であったといわれています。 また、承久の乱で配流となった後鳥羽院とも、和歌のやりとりをしていて、交流を保っていたようです。 後鳥羽院が、藤原良経に「和歌を始めようと思うが、誰を師としたらいいか」と尋ねたところ、「藤原家隆を」と答えたと伝えられています。 その時からの付き合いが、…
百人一首。 これは、言ってみれば「藤原定家のプレイリスト」※だと思うんですが、その中から、十首選んで私のプレイリストをつくりました。 そして、その十首をオリジナル音源にのせて、一つにつないでみました。 【私のプレイリスト~10分で十人一首】 A面01 ちはやぶる 在原業平朝臣02 瀬をはやみ 崇徳院03 月みれば 大江千里04 嘆けとて 西行法師05 夏の夜は 清原深養父 B面06 花の色は 小野小町07 有明の 壬生忠岑08 心にも 三条院09 忍ぶれど 平兼盛10 秋風に 左京大夫顕輔 youtu.be偉大な先輩方の紡いだ美しい日本語の響きを、オリジナルの音楽にのせてみたい。そんな思いで、…
さまざまな こと思い出す 桜かな 探丸子の君、別墅の花見もよはさせ給ひけるに、昔のあともさながらにて (探丸子の(芭蕉が若いころ仕えていた方(蝉吟公、せんぎんこう)の息子さん藤堂良長の俳号)という方が、別墅(伊賀国上野の下屋敷)での花見を設けてくださった。その様子は、昔自分が若いころ楽しんだ花見の様子そのままであった) 松尾芭蕉 元禄元年(1688年)、芭蕉が若い頃を過ごした故郷・伊賀の国に帰省した際に詠んだ句です。桜の花を見て、若かりし日のさまざまな出来事を思い出しているのでしょう。 この句について、宗教学者、哲学者、僧侶の大峯顯さんは、生前、次のように解説しています。(動画 4:10 のと…
紀州のドン・ファンの元妻、無罪ですってねえ。 疑わしきは罰せず 裁判員はさぞ悩まはったことでしょう。 限りなく漆黒に近いグレー という文句が浮かんで、村上龍を思い出しました。 ぼくも裁判員に指名されたら国民の義務やし、 引き受けんとあかんかなと思うてたんですけど、 70歳以上は辞退できるそうですね。 なかせさんは絶対辞退しそう。 殺人事件の現場写真、よう見ませんいうて。 さて、昨日のなかせさんの日記にあったように、 小倉山荘ってせんべい・おかき専門店があります。 なかせさんもひいきにしたはります。 割れおかきお徳用袋とか特に。 小倉山荘といえば百人一首。そして、 百人一首といえば藤原定家 と思…