1920〜1961 編集者、デザイナー。「書肆ユリイカ」社主。 旧制福岡高校出身。1947年に「書肆ユリイカ」を興し、原口統三の『二十歳のエチュード』、稲垣足穂の「ヰタ・マキニカリス」等を出版した。 また、詩誌『ユリイカ』を1956年10月に創刊。ボードレール、ランボー、中原中也、立原道造などの特集を編んで現代詩に刺激を与えてきたが、通巻第53号の1961年2月号で、伊達の死によって途絶した。
伊藤海彦『旋律と風景』(国文社 1982年) 伊藤海彦の音楽エッセイ。33の楽曲について、その旋律と分かちがたく繋がっている思い出の風景を綴ったもので、クラシック曲もあれば、タンゴ、シャンソンもあり、東京音頭や尺八曲、大薩摩節という三味線音楽まで入っています。各章のタイトルに楽曲名をつけ、体裁は音楽を起点として文章を綴っているように見せかけてはいますが、実際は、音楽をダシにした一種の青春回想録となっています。読んでいるあいだ心地よい時間を過ごすことができました。 ひところ、よく読んでいた回顧的な音楽エッセイに連なるものがあります。松井邦雄や塚本邦雄、久世光彦など、みんな私より一世代上の人たちで…
林哲夫編「喫茶店文学傑作選」(中公文庫)を読んだ。 今どき、「喫茶店」と言う言葉を使う人がいるのか?と、思ってしまうほど、廃れた言葉かもしれない。 最近の日常会話では、「スタバに行く?」とか「カフェに入る?」とか言う方が多いのかもしれない。小僧が学生だった1960年代、70年代は、喫茶店と言う言葉が一般的だったと思う。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 渋谷、新宿の街にも「喫茶○○」という看板が今よりはるかに多く見られた。純喫茶、名曲喫茶、同伴喫茶、深夜喫茶などと言う言葉も使われていた。 「喫茶店文学傑作選」では、小説や随筆の…
大岡信『生の昂揚としての美術』花神社2006年4月25日 初版第1刷を読み進める。《 「パリ「前衛芸術の日本展(一九一○ー一九七○)」は一九八六年十二月九日から八七年三月二日まで、パリのサントル・ポンピドゥー美術館で開かれている。 》 「パリ「前衛芸術の日本展」印象」158頁《 当然のことで、彼はパリジャンだから、日本近代史において「前衛芸術」がいかに孤立した苦闘を強いられたか、なんてことに関心を抱く必要は少しもないのである。 》 同 161頁《 前者は「模倣? しかり。だが……」という。後者は「模倣? しかり。それゆえに……」という。 》 同 161-162頁《 またここに洩れた作家たち──…