2015年のマンション建設に先立ち行われた調査で判明した豊臣秀吉時代の指月伏見城遺構、調査の後埋め戻され後にはマンションが建設、その一角に堀東側石垣の一部を移築し展示されています。 伏見指月の伏見城と云うと、豊臣秀吉が関白位と政庁としての聚楽第を豊臣秀次に譲った後の隠居所として1591年から築城が始まった城と云うより城館の様な豪華絢爛な建物だったらしく、1593年完成後は幾度か茶会が開かれるなど隠居所としての機能していましたが拾丸(豊臣秀頼)が誕生後に豊臣秀次一族が廃絶され、豊臣秀吉自ら政務に復帰すると共に1594年から宇治川の流れを引き込み外濠を整備するなど大規模な改修が行われて豊臣秀吉の本…