昧爽の迷宮へ(9)← →昧爽の迷宮へ(11) ソウル 南大門 茶山は不安でならなかった。 “東方隠者の邦(くに)”を震撼させた忠清道「珍山」の天主教騒動から4年、邪教禁圧を求める声は日増しに高まっていたが、正祖王と側近たちは、不気味な沈黙をつづけていた。天主教の禁圧は、「西学」すべての禁圧を意味する。北京から使節を通じて伝えられてくる西洋の学問と文化に、並々ならぬ関心を抱いてきた丁家の若者たちにとって、天主教とは、将来性あるすべての知識と一体になった学知にほかならなかった。「天主(デウス)」とは、彼らにとって、儒教の「天」と同じものだった。天主教を採るか排するかは、神を信じるか、信じないかの問…