(1) ボルディガのコミンテルンへの面従腹背 1921年1月リヴォルノで開かれたイタリア社会党(PSI)第17回大会において、ボルディガらの棄権派、グラムシらのオルディネ・ヌオーヴォ派および最大限綱領派(マッシマリスタ)左派は党を割り、イタリア共産党(PCI)を結成した。その際に執行部の多数を占めたのは、すでに1919年からPSIの中に全国的なフラクションをつくりだしていたボルディガ派であった。 一方レーニンは、ロシア革命にヨーロッパ各国でのプロレタリア革命が続くという展望を改め、これにもとづいて1921年6月のコミンテルン第3回大会では、「労働者階級の多数者を獲得」するために「共産党は、労働…