『八月の母』早見和真著 (KADOKAWA, 2022.4) 恐る恐る畳の上に、右足を置く。次に、左足の置き場を探す。ペットボトル、空き缶、テッシュ箱、Tシャツ、靴下、下着…。黒い鞄、赤いショルダーバック、段ボールに、脚立。左足をわずかな隙間に置いて、声を出す。「こんにちは。訪問診療に来ました。調子はどうですか…」 僕は先輩のクリニックで、訪問診療の手伝いをしている。もう15年にもなるのだが、いろんな患者さんに出会った。そのひとりは、いわゆるゴミ屋敷に住んでいた。 「どうですか、調子は?」 「いっちょん変わらん。動くときつかね~」 呼吸不全があり、在宅酸素を導入したのだが、あまり酸素を吸ってく…