今までずっと、記憶をたよりに目が見えてなくても生きて来られた。必死に目が見えていないことを隠して来たのよ。私達は視力検査、暗記したわ。長期的な記憶は苦手だと思うけど、短期ならある程度出来るのよ。だから、その記憶力を使って私達は生きてきたの。別に眼鏡作ってもらった事は何度かあるわ。でも、無くしたらもう作ってもらえないと考えて、私達は記憶と、塾でのことを思い出しながら今まで眼鏡なしで、もしくは勉強の時のみ付けていたのよ。
今日、川を早朝に見に行ったの。とてもキラキラしていて、海のように波打ってて、かもめかな、鳥が沢山いて凄く心が落ち着く場だったわ。今回はいつもり水位が上がっているらしく、川に触ることは出来なかったわ。致し方ない事ね。次回は触ろうかしら。
違いがあってもいいじゃない。今日はこんなお話し。プロだとかアマだとかは関係なくて、作品ができればそれで良いのよ。と、私は思うのね。自分が納得したものを作れれば良い訳で。違いなんていくらでもあるこの世界で、違いを恐れても無駄。そんなことよりももっと大切か事があるでしょうに。
宿題を自分で考える。これはとても良いことよ。なんせ、向上心の現れなのだから。プログラムの世界にどっぷり浸かった彼は自ら望んでパソコンを叩く。カタカタと遅いタイピングで、でも、着々と成長しているのが感じ取れる。私ももっと時間があればもっと勉強しているのになんて、思わなくもないわ。でもそれはご法度。ダメなものはダメよ。48時間寝ないでいたとして、クオリティはどうかしら。無駄に決まっている。それなら、ちゃんと寝て、ご飯食べて、やりたい時に、やることが大切なのではないかと私は思うのよ。
痛いけど着飾りたい気持ちが彼を動かす減量力になる。ゆっくりゆっくり体を捻らせて、動く様はまるで蛇のように感じて。正直気持ち悪いわ。でも、彼にはこれがカッコいいと感じているようなのよ。不思議ね。穴なんか必要ないのに。曲がりくねる体を必死に抑え込み、自信を着飾ろうとする彼。