冷戦の終了した後。
一般に冷戦の終結は(少なくとも当時は)マルタでの米ソ首脳会談(1989年12月)に求めることができる。
が、実際にはその後のソヴィエト連邦崩壊(1991年12月)などで区切ることも可能である。
冷戦は、国際システム的には米ソ両超大国という「親分」が存在し、もめ事が基本的に親分同士の話し合いで手打ちが図られる状態であった*1。直接的な武力行使は相対的に抑制され、「縄張り内でのもめ事解決」か「縄張り争い」が主な物であった*2。
これに対し、冷戦後に起こった現象は、端的には湾岸戦争やソマリア紛争に見られるように、「親分」による抑制が機能しないという状況だった*3。
元々、民族対立なり領土紛争なりがあって、対立する両陣営が米ソを後ろ楯と頼んだから冷戦構造が成立していたのであって、冷戦があるから地域での紛争が行われていたわけではない。
冷戦終結直後は米ソの支援という「燃料」を失った結果としての和平成立なども見られたが、現状は民族対立などがそのまま紛争の火種となる状況が見られるようになった。