芥川は自死する2か月前に書いた『或旧友へ送る手記』(1927.7)で,「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた」ことと,その理由が「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」であったことを記していた。 後に共産党の指導者になる宮本顕治は,学生だった頃に,芥川の文学を自著『『敗北』の文学』(1929)で日本プロレタリアートの全線的展開の時代の中で「敗北した文学」と規定した。その宮本が後に『網走の覚え書き』(1949)で『『敗北』の文学』を書いた頃のことを述懐して,「この時代,プロレタリア芸術運動は,若々しい情熱でふるい文学の批判に向かっていた。晩年の芥川龍之介が,プロレタリア芸術への好…