いやもう、怒髪天を衝かんばかりと言うべきか。 公使遭難の報を受け、当時滞在中だった英国人らは軒並み色めきたってしまった。彼らの激昂ぶりたるや、予測を遥かに上回る、日本の要路一同を冷汗三斗に追い込まずにはいられない、猛烈無上なものだった。 慶應四年二月三十日、パークス暗殺未遂事件の際の景色を述べている。 (Wikipediaより、襲撃されたパークス一行) 「コルシカ人の語に、一人殺さるれば一人を殺すといへる事あれども、吾等は是に倣ふ事無く宜く一人殺さるれば千人を殺すの心を以て復讐を行ふべし。吾等一度命令を下せば日本は外国の才智兵力に屈服せざる事を得ず。日本人若し頑固なるときは遂に印度人の轍を履む…