東京拘置所の煉瓦塀を見学した。明治政府は、明治5年(1872年)2月(旧暦)の大火をきっかけに西欧にも劣らない煉瓦街の建設を計画、同年、東京府第11大区1小区小菅村(後の東京府南葛飾郡小菅村、現在の東京都葛飾区小菅)に煉瓦製造所(製煉社あるいは精煉社)が設立された。小菅村の煉瓦製造所は、英国人技師ウォートルスが指導して日本で初めて3基のホフマン式輪窯(輪環式煉瓦焼成窯)を築き、煉瓦の大量生産に成功、銀座煉瓦街の煉瓦の供給元となった。明治7,8年頃には銀座煉瓦街が徐々に竣工、西南戦争前夜の不景気で煉瓦の需要が減少、民間での工場維持が困難となり、明治11年、西南戦争終了後、旧西郷軍兵士を収監するた…