・170~180年頃? 〔參考〕『太平御覧』の引用する『魏志』によれば、光和年間の間(178~183)、倭では各國が爭っており君主がいなかったという。 〔參考〕『後漢書』は、倭國內の戦亂の時期を桓帝,劉志から霊帝,劉宏の時代(146~189)の間とする。 〔参考〕『梁書』は、倭国内の戦乱の時期を霊帝,劉宏の光和年間(168年~184年)とする。 ※漢の衰退により、鉄資源や威信を示す下賜品を供給するため交通網が混乱した。そのため政治秩序が崩壊し、倭国王の権威が弱まって戦乱が発生したと考えられる(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 ※『後漢書』における「桓霊の間」という言葉は、不徳の皇帝を引き合…