邇摩郡福光郷の国人である福光氏の一族。官途名は民部丞。天文末年頃、山吹城での軍役や長門国での社役がおぼつかない窮状に陥る。石見吉川氏の合力で公役を果たし、その「御礼」として領地を譲っている。 福光氏の衰退 石見吉川氏への所領譲渡 毛利・尼子の戦いの中で 参考文献 福光氏の衰退 福光氏は石見国邇摩郡福光郷を本拠とした国人領主とみられるが、その実態は必ずしも明らかでない。史料上では、周布氏の一族とも福屋氏の一族ともされる福光兼継が鎌倉末期に福光郷の地頭としてあらわれる(『萩藩閥閲録』巻121)*1。 建武三年(1336)七月、御神本三郎太郎藤原兼継(福光兼継)は軍注状の中で自身を「石見国福光上村地…