90年代のプロ野球選手。
右投左打、ポジションは捕手・指名打者。背番号27→3→27→23番。
1969年5月1日生まれ。大阪府出身。血液型O型。
東海大工業高校から1988年、ドラフト5位で南海ホークスに入団。
1990年、一軍に昇格し指名打者で出場。
1991年、福岡ダイエーホークスの正捕手として定着する。
1994年、恐怖の7番打者として藤本博史、浜名千広と共に下位打線を組み、活躍。
毎年.290前後の打率を維持し、二塁打が多く、中軸打者としても活躍した。
その体格から門田博光二世として期待され、大阪の試合では打席で門田の応援歌がよく流されていた。
1997年、4番打者に定着。背番号を3番に変更。秋山幸二、小久保裕紀とクリーンアップを組む。
1998年、背番号を27番に戻す。城島健司の一軍定着により、指名打者に回ることが多くなった。
1999年、3番指名打者として福岡ダイエーホークスのパ・リーグ初優勝及び日本一に貢献。
オフに移籍希望でFA宣言を表明するが、結局宣言せず一転残留。
2001年、大野倫+金銭とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。
左の大砲として期待されたが、工藤公康とのバッテリーなどあったものの、捕手としては出場機会が少なかった。
出番が少なくなっていた最中、2002年に見せた豪快な代打本塁打は、全盛期を彷彿とさせるものだった。
2003年、FA宣言して残留。
同年、退団。郭泰源が監督の台湾プロ野球・誠泰コブラズに誘われるも、固辞。現役引退。
現在は会社役員を務める。
また、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの選手として活躍。