以前から「東観漢記は煩瑣である」というような評価をよく見かけるのですが、原本は失われているので、どのように煩瑣なのか不明で違和感が有りました。 その手掛かりが、吉川忠夫氏著作と、その中に引用されている『史通』にありました。 何と「条章は立つこと靡(な)し」だったようです。 「条」も「章」も無いのでは、読みにくいのも当然です。 当方は「違和感」を大事にして、その理由をずっと探し続けるという手法を使って課題解決を図って来ています。今回もそれが役立ったかも知れません。 ◆吉川忠夫 范曄と「後漢書」P44 <『史通』の忤時(ごじ)篇にまたつぎの記事がある。「後漢の東観に大いに群儒を集むるも、著述に主無…