神は言葉の能記等ではで完全に把握することはできないとして 言葉の「否定の無限退行と無限の相対化」によって、唯一神の唯一さを論じた神学、教理。 11〜12世紀頃、レゴリオス・パラマスらによって論じられたが、その後、ギリシャ正教会では2大教義の一つと認定された。 副次的に、現代の言語哲学、分析哲学における基本概念「シニフィアン/シニフィエ」の原型を成した。
どうも最近、「否定神学」という言葉に惹かれちゃっている。 なぜか。 単に響きが格好いい。「ひていしんがく」って発音したくなるような語感があると思うんですが、どうですか。声に出して読みたい日本語。否定進学だとしてもそれでいい。 心を擽られる字面。神を否定とかおもろいやん、的な。進学よりはロマン感じる。 トークショー見てたり本読んだりしてるとたまに出てくる。ので、周期的に繰り返されるエロい経験として記憶に刻まれている。 千葉雅也「現代思想入門」(講談社現代新書、2022) "否定神学とは「神とは何々である」と積極的に特徴づけるのではなく、神を「神は何々ではないし、何々でもなく…」と、決して捉えられ…
神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう 人間の認識能力の限界と扱わざるを得ない問題 【カント『純粋理性批判』】 神という大問題 【リーゼンフーバー『中世思想史』】 認識不可能な神への認識方法 〜神は何者でないことによって、神を知る=否定神学 神は認識出来ないが故に闇となる 【中世思想原典集成】 理性の限界と哲学の問題 前回のお話 神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう 中世思想史 (平凡社ライブラリー) 作者:クラウス・リーゼンフーバー 発売日: 2003/12/10 メディア: 新書 人間の認識能力の限界と扱わざるを…
『俺ガイル』9巻で「本物が欲しい」と告白する比企谷八幡。 「本物」とは何なのだろうか。 『俺ガイル』に触れてきたことがある人をいくらか悩ませてきた「本物」。 これまで俺ガイル研究会の人たちと議論を重ねてきた結果、「本物」とは否定神学的である! と暫定的にいうことは可能だろう。そう、暫定的でしかないというべきか。 なんというか、「本物」が否定神学的概念なのだと思っていたけれど、というより、八幡が否定神学的人間、ひいては「否定性」そのものなのだということがわかってきた — 才華@俺ガイル C101土曜日東地区ペ11b (@zaikakotoregail) August 28, 2022 「本物」と…