広島湾の東の関門である音戸瀬戸近くに位置する港町。平安末期には呉浦として史料にみえる。中世は呉津とも呼ばれ、大内氏に属す警固衆である呉衆の根拠地となった。 石清水八幡宮寺領「呉別符」 呉津と呉衆 関連人物 参考文献 石清水八幡宮寺領「呉別符」 呉の地名の史料上の初見は保元三年(1158)十二月三日官宣旨であり、岩清水八幡宮寺領の一つとして「呉別符」がみえる(「石清水文書」)。一方で永暦元年(1160)には、美福門院領として安摩荘呉浦が登場する(「高野山文書」)。呉別符はその名称から、国衙領時代の呉浦の一部を割いて設定された「別符」*1であったと推定されている。 元暦二年(1185)正月の「源頼…