和田豊

(スポーツ)
わだゆたか

プロ野球、阪神タイガースの選手・監督。
右投右打、ポジションは遊撃手→二塁手。背番号は6番→86番(コーチ・監督)。


1962年9月2日生まれ、千葉県松戸市出身。身長174cm、体重72kg。


我孫子高校*1では1年夏に甲子園出場を果たすも1回戦敗退。日本大学に進み、東都大学リーグで首位打者を獲得。
ロサンゼルスオリンピック・日本代表チームにも選出され、金メダル。


1985年、ドラフト3位で阪神タイガースに入団。藤田平が19年背負った背番号6を譲りうける。
1年目より39試合に出場し、控えながらもセ・リーグ優勝、日本一を経験。

1988年、不動の2番打者として定着、大野久・中野佐資と共に「少年隊」の一員として活躍。

1989年、それまでの二塁手・岡田彰布が三塁手、代わって遊撃手から二塁手へ転向(遊撃手には八木裕が入った)。

1990年からは1番打者として活躍、流し打ちを得意とし、チームを代表する選手として、1990年代のタイガースを支えた。
1992年、亀山との1・2番コンビで、快進撃に貢献。
6月14日の湯舟敏郎のノーヒットノーランでは、最後の打者のヒット性の当たりを好捕。
流し打ちだけでなく、守備でも頼れる二塁手だった。


2001年、打撃コーチ兼任となる。10月1日、長嶋茂雄の勇退と同日、現役引退。
背番号6は、藤田平と合わせてじつに36年間、タイガースの職人の背負った背番号となった。
余談だが、引退スピーチで、グラウンドキーパーの方々にまでお礼を言ったのには、
彼の人柄がうかがえるのではないだろうか。


最多犠打記録(1988年)、開幕連続安打記録(1997年)、24試合連続安打(1999年)。
ベストナイン2回、ゴールデングラブ3回、オールスター出場7回(辞退1回)。


2002年、一軍打撃コーチに就任。
2003年、二度目の「優勝」を飾る。
2004年、二軍野手総合コーチに就任。
2005年、一軍打撃コーチに復帰。

2012年、監督に就任。

若手からの信頼も厚く、今日も「失意泰然」をモットーに全力投球中である。


阪神タイガース公式サイトで日記を連載している。


応援歌は「男なら命賭けて ボールに食らいつけ 行けよ行けよ和田豊 お前の出番だぜ」

著書

isbn:4915977587 虎の意地
isbn:4087803856 虎の意地〜和田コーチの野球日記
isbn:4796638660 諦めない力 虎の挑戦

*1:同級生に辻谷耕史とこおろぎさとみがいる。

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