三省堂『日本百科大辞典』の編輯の仕事を通して、同僚の金田一京助と知り合った中島孤島は、その流れで石川啄木とも出会うことになる。 石川啄木は、日記や書簡を残しているので、そこから中島孤島と知り合った際の経緯や、どう関わっていったのかを知ることができる。 その一部を時系列を追って抜粋してみる。 明治42年の「啄木日記」より ゛三月九日 曇 暖 (前略)夜在原君を訪ねたが不在、豐巻君も不在、帰つて来て人を殺したいようにイライラした気持でいると金田一君が来た。中島孤島君の話。(後略)” 啄木と金田一京助との間で、「中島孤島君」の話が出たのがこの日のようだ。そして約二週間ほど後に実際に会う機会が来る。 …