紀元前17世紀末ごろから紀元前11世紀半ばにかけて存在した中国の王朝。 周王朝からは「殷」と呼ばれた。その為、20世紀に発掘された商王朝の遺跡は「殷墟」と呼ばれている。 祭政一致体制だったとされる。 周の武王により滅亡した。
商の民が商いを行なったことが「商人」の語源になっている。
夏王朝→商王朝(殷)→周王朝(西周)
宋襄の仁、という言葉がある。 無用の情けとか、君子気取りで身を滅ぼすとか、そんな感じの意味で、けしてよい言葉ではないと思うが、日本人というのは、意外とこの言葉がしっくり来るような気が、個人的にはしている。 悪い意味で使えば、格式やルール・マナーにこだわりすぎて新しいものを受け付けないとか、グローバル化が苦手、改革を嫌うタイプと言える。 一方で、そんなこだわりが、有数の文化を保ち、気が遠くなるほどの「老舗」を守り続け、諸外国から称賛を受けたりしている、とも思う。 鎌倉武士の時代にも、名乗りをあげて一騎討ち、という様式があり、いざ元寇緒戦では、元の集団戦法に、前に名乗り出た武将が討ち取られまくった…
中国の三星堆遺跡で新発見 祭祀坑は商王朝末期のもの 6/14(火) 22:16配信 20 コメント20件 三星堆遺跡から出土した謎めいた青銅仮面(2022年6月14日提供)。(c)CGTN Japanese 【6月14日 CGTN Japanese】中国南西部、四川省(Sichuan)にある謎めいた三星堆(Sanxingdui)遺跡で13日午前、考古発掘の新たな成果が発表されました。三星堆祭祀(さいし)坑の年代が確認され、年代が少し後の五号坑と六号坑を除く祭祀坑の埋蔵年代はほぼ一致しており、中国2番目の王朝である商王朝の末期、今から約3200~3000年前のものであることが分かりました。これに…
こんにちは伊予之鈍才です。 久し振りのヨスさんからのGメール。Twitterに返信を送りました。といっても、今はもっぱらブログと巨人のことを投稿していますからそんなに言うほどでもないですかね改めて? しいて言うならば、今日は巨人の一軍の練習はお休み?記事がないから、お休みでしょう。 でも、早いものでもう3年半になりますね。確か?2018年の8月29日だったと思いますから、本当に月日の経つのは早いですね。 昨日今日、山は雪化粧ですが、寒くても子供たちがいない時は出来るだけ、暖房を使いません。夕方まで辛抱してようやく午後4時以降になって暖房を入れる。 何もしないとたわいないことだけですけれど、でも…
中国の歴史は長く、ついでに諸説ありすぎてよーわからん、人物とか流れが複雑でよーわからん、というのが私の所感です。ちょいちょい調べたりしますが、いまだに全然覚えきれないので、覚え書きの体でここに書いておきます。 ちなみに、神話あたりからずっと諸説多すぎるので、自分の中ですっきりと納得できる部分だけで構成してますので、異論は認める。 神話から歴代王朝 中華創世 → 三皇五帝の時代 → 夏(初の王朝) → 商(殷) → 周 → 春秋時代 → 戦国時代 → 秦(始皇帝) → 楚漢戦争 → 前漢 → 新 → 後漢 → 三国時代(三国志) → 晋 こんな流れですね。 それぞれの時代の大まかな内容と、諸説あ…
ひょんなことから、10年以上前に昔はてなグループで書いてた中国神話の設定をInternet Archiveでサルベージしました。 別に歴史的事実を追求してるとかではなく、中二病的な(?、笑)小説とかの設定に使えそうなつじつま合わせをしただけのもので、多分いま改めて調べると間違ってる部分も多いでしょうが、とりあえず当時調べた範囲ではある程度つじつまを合わせたものです。 今から改めて調べ直してつじつま合わせ直しとかまではしませんが、なんとなく捨ててしまうのももったいないので、お焚き上げ代わりにフリーアイデアとして公開します。 私はこの先もう小説家になったりとかはないので、もし気に入ったらパチっても…