あまり良い気持ちをしないエピソードがあります。 簡単に言えば、人が人を見て嗤っていたということ。 笑うではない。嗤う(わらう)。 見下し、わらうということ。 私は、そういうのが本当に嫌いです。 嫌な気もちになる。 嗤った人間は、嗤われた人間の努力を知っているのでしょうか。 その人は同じことに同じ分だけ努力ができるのでしょうか。 私は、嗤われた人と同じ仕事を経験したことがありました。 難しいし、上手くいかないことも知っています。 それを成し遂げるために、きっと努力したのではないか?とも。 そして、努力したうえで、やはり難しかったことも。 私は知っていました。 嗤った人が、そういった仕事を回避し、…