正平3年/貞和4年(1348年)1月、前年12月に南朝討伐のため京を発した北朝方の高師直・師泰(兵力60,000人)と南朝方の楠木正行・正時(兵力3,000人)との間で行われた戦い。南朝方が負け、楠木正行・正時は自刃した。この後高軍は吉野を陥落させる。
随分前にMust Attackに投降したのに(7/30)こちらで公開するのは忘れていたようです。ボケたか? 以下のURLです。 https://drive.google.com/file/d/1v2YdX07i9mrT_xMSSnW7Y2ySdpO_kyqM/view?usp=sharing 最終マップはこんな感じです。左側が北ですね。 四條畷のマップ ユニットシートはこんな感じ。 ユニットシート 四條畷の戦いは、楠木正行の連戦連勝に驚愕した北朝方が、尊氏、直義に次ぐNo.3高師直を総大将として送り出したものです。その経過は、師直が山崎付近に陣を張ったのに対して、南朝方は淀川下流の渡辺の渡し付…