岩波文庫151ページ「しるべし、諸仏の仏道にある、覚をまたざるなり。仏向上の道(どう)行履(あんり)を通達せること、唯(ただ)行仏のみなり」 知らなければならない、仏(大宇宙の真理を体得した)の方々が仏道にあるということについては、「分かった」「理解した」というまで待つ必要はないのである(悟りとかを待つ必要はない)。たとえ大宇宙の真理を体得しても(仏となっても)、毎日毎日向上するために大宇宙の真理を日常生活の行動の隅々にまで行き渡らせるためには、ただ仏として行動するのみなのである。 何回も同じことを書くけど、坐禅した瞬間に仏なのだ。道元禅師も重要なことを何回も繰り返し繰り返し書いておられる。 …