岩波文庫148、149ページ「しかあればすなはち、即心是仏とは、発心(ほっしん)・修行(しゅぎょう)・菩提(ぼだい)・涅槃(ねはん)の諸仏なり。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず」 であるから、即心是仏とは、真実を知りたいという気持ちを起こし、修行すなわち坐禅し、大宇宙の真理を体得し、心身がバランスしている「仏」ということである。まだ発心・修行・菩提・涅槃していないのであれば、即心是仏ではない。 発心して、辛く長い修行の末、ようやく真理を体得して、心身がバランスする、落ち着くというように一般には考えられているようだが、私は坐禅した瞬間にすべてが備わると思っている。その状態を維…