坪井正五郎

(サイエンス)
つぼいしょうごろう

明治日本における人類学、考古学の創設者。1863?〜1913
文久三年、幕府奥医師・坪井信良の息子として生まれた。
東大理学部生物学科で学ぶ傍ら、明治十七年、人類学会創設、『人類学会報告』(のちの『人類学会雑誌』)を発刊。本郷にて土器を発掘、弥生式土器と命名。
大学卒業後、まだ人類学科のなかった東大大学院に人類学専攻の目的で新しく学科の設立を願い出て、人類学を学ぶ。
卒業後、留学の目的でヨーロッパに渡るも、学ぶべき師なしとしてロンドンで独学。第九回万国東洋学会にて、吉見百穴調査論文を発表、名誉金牌を受ける。
明治二十五年、帰国後、東京大学理科大学教授に就任。同年、林若樹、山中共古らと集古会を結成。明治四十二年、三越流行会に参加。
大正二年、ペテルブルグで開かれた第五回万国学士院連合大会に出席、病気のため同地にて死去。

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