1882年7月23日に、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の漢城(後のソウル)で大規模な兵士の反乱が起こり、政権を担当していた閔妃一族の政府高官や、日本人軍事顧問、日本公使館員らが殺害され、日本公使館が襲撃を受けた事件である。壬午軍乱、朝鮮国事変、あるいは単に朝鮮事変とも呼ぶ。以下に示す理由から大院君の乱と言うものもある。
「大人が知らない教科書の違い」【手奇塾】学び舎は南京以外に「日清戦争旅順大虐殺も教える 学び舎は、195Pに1894年12月6日の「旅順虐殺の時事新報のスケッチ画を載せています。これも731部隊や南京事件同様、日本は侵略した、日本は悪いことをしたという、政治宣伝(プロパガンダ)です。証拠の写真がないのでしょうか、スケッチ画です。この日清戦争には内外の通信員も同行していました。支那事変の南京攻略戦も同様です。彼ら記者たちも旅順戦をその目で見ていたはずです。タイムス戦地通信員やジャパン・メールの記者たちです。実は南京戦も同じで、支那の兵士は、退却する時、兵服を脱いで、一般人に紛れて逃げるそうです。…
マンガ日本の歴史 44民権か国権か石ノ森章太郎中央公論社1993年6月5日 初版印刷 1993年6月20日 初版発行 『マンガ日本の歴史43 ざんぎり頭 で文明開化』の続き。 megureca.hatenablog.com 43巻も42巻に続く明治初期の混乱。44巻も、続く混乱の数々。新政府内での仲間割れ。 岩倉使節団に行ったメンバーと国内に残った西郷隆盛らとの間 で価値観の相違が生まれたのは 「やむなし」 だろう。今のように、ネットで即時情報共有できる時代でもなかった訳だし。また、西洋をまねして朝鮮の植民地化をしようとする日本。イケてない・・・・。人間模様もややこしくなっていく。 目次第一章…