福沢諭吉は一万円札の肖像から退席してしまったが、彼の言説は消えるべくもない。 征韓論の時期、彼は朝鮮の無礼(日本からの王政復古を伝える書契を、旧来と書式が違うとして何年も受け取らなかった)はたいして問題ではなく、そこから清帝国に関わってゆけば、清国に自国の租借地を持ち、経済的に侵略しつつある欧米の関与を招くことの方がより重大な脅威であるという認識を示している。 以下の記事で、文久元年(1861)のロシア軍艦ポサドニック号による、半年以上に渡る対馬占拠事件に言及している。これは、幕臣として外国方翻訳方を務め詳細を知っていたのかもしれない。ロシアは永久租借まで要求し、日本側と一触即発になった。この…