大聖人の2番目の弟子の大国阿闍梨日郎(筑後房)は寛元3年(1245)4月生まれで日興上人より1歳年長です。父は能手郷平賀二郎有国、母は印東氏の出で有国死後に平賀忠晴と再婚し日像・日輪の2子をもうけました。建長6年、日郎16歳の時に松葉谷の大聖人の許を訪れて弟子入りしています。日郎の史実として有名なのは『土籠御書』に書かれているように竜の口の法難の際に入牢させられた一件です。後年他門流では日興上人を差し置いて「日郎が給仕第一である」と伝えられているように日郎伝説は色々あって、例えば大聖人に伊豆流罪の時に同行したかったが願いが叶わず大聖人を乗せた船が見えなくなった時に悶絶した。とか竜の口の法難の際…