日蓮宗系の仏教宗派。 総本山は大石寺。
現法主は第68世早瀬日如。
日蓮正宗の信徒団体であった創価学会の興隆により大いに栄えたが、1991年11月に創価学会を破門し、檀家数が激減し寂れている。独自の信徒団体として法華講がある。 日蓮宗系だけあって他宗教に不寛容で、信者となる場合は他宗教と関係するものの破棄を求められる(謗法払い)。
日蓮正宗では毎月第1日曜日に、『広布唱題会』という唱題行をしています。これは、日顕上人貌下が発願して平成15年から総本山と全国末寺で一斉に開始されたそうです。『広布唱題会』に際して、日顕上人は「常に広宣本日は広宣流布を御祈念申し上げるとともに、大法興隆のために自らがあらゆる面において精進していくということを御本尊様にお誓い申し上げ、実際に真の仏子としての信心修行に邁進するための唱題行であります。よって、この唱題行において「自分は広宣流布のために現在の立場から何かできるのか」ということをしっかり見定めていくこと、また、それを実際に実践していくことが大切と思います。このことは御信徒のみでなく、当然…
問う、人法は元これ勝劣なり。故に『百六箇抄』に、「法は本、人は迹なり」と述べ給う。しかるに、これを体一と言う者は、本迹一致の輩なりと。この難、いかが会通するや。答う、人法において二つあり。云わく、体一と勝劣なり。体一とは絶対妙に約し、勝劣とは相対妙に約するなり。 今回から第2章の要文に入りますが、第2章は「下種人法体一」を論じている章です。最近の創価学会教学では、人法体一(人法一箇)を否定し日蓮大聖人を崇拝の対象ではないと教義変更しましたがその主張は驥尾日守と同じです。当御指南は日守が『百六箇抄』の御文を文証に人法体一を言う者は本迹一致でないか?という問いに対し、日応上人は、人法の会通は相待妙…
『立正安国論』の奏呈から9年後の文永五年正月、大聖人の予言された他国侵逼の難が蒙古の来牒によりいよいよ現実として現れてきました。大聖人は、『安国論御勘由来』など幕府への諌言をしますが何の返答もないことから10月11日に、北条時宗・宿屋左衛門光則(宿屋入道)・平左衛門尉頼綱・北条弥源太・建長寺道隆・極楽寺良観・大仏殿別当・寿福寺・浄光明寺・多宝寺・長楽寺に対して、有名な通称『十一通御書』を認めますが幕府はこれも黙殺します。更に3年後、大聖人は極楽寺良寛との祈雨対決に勝利します。良寛は敗北したら大聖人の弟子なるという約束を破り、逆に大聖人に対し憎悪の炎を燃やしデマを用いた裏工作を謀り、ついに大聖人…
住宅や車などを購入する時や結婚式や葬式の時に、親や兄弟、親戚が口出ししてくることが多々あるが、私の長年の経験では金を援助しない親兄弟ほど口出ししてくる。世の中は「口は出すけど金は出さない」人々が大勢いる。例えば住宅購入の時など、金を出す親はほとんど口は出さないが、金を出さない親ほどアレコレといちゃもん付けてくるという不動産アルアルがある。さてここ最近は顕正会会長の浅井城衛が大石寺に対して、「免震構造の新御法蔵を造って戒壇大御本尊を御遷座しろ」などという発言を繰り返し、しかもその費用は全額顕正会が拠出してもいいなどと嘯いている。もっともこの主張は城衛のオリジナルではなく、父・昭衛がずっと言ってい…
説く汝、日守、いまだ祖判を伺うの秘曲を知らず、語を換えてこれを言えば、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心等の大格を知らざる闇者なり。すなわち法相・法理に闇昧なり。いわんや、当家秘伝の種脱の相対、十重顕観、四重の興廃、三重の口決、宗旨の三箇、宗教の五箇等、大事の相伝を知るべきの理なし。ああ、不相伝邪曲の至りと言うべし。 第1章19節は、日守が『本尊問答抄』の一文を挙げて大石寺教学を非難している事に対し、日応上人が反論し日守の我見を破折している内容です。日守の御書(祖判)の読みと解釈が間違っているのは、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心という立て分知らないからで、御書はこう…
願くは我が弟子等大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人のかずにも入らず、又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ 今月の御講拝読御書は『竜門御書』の一節です。御真筆が総本山・大石寺に現存していて、奇しくも先日の御虫払法会に参詣した折に目の前で御真筆を拝見してきてばかりの御書です。さて今回の御文は以前に「創価教学じゃない御書講義」で取り上げたので下にその記事をリンクしておきますが、前回の講義は創価学会員向けだったので今回は法華講員向けに研鑽…
4月7日、宗祖御大会と共に総本山大石寺の二大法要と言われる『御霊宝虫払大法会』に参詣することができました。御虫払法要に参詣することは正宗移籍してからの念願でした。御虫払法要は毎年4月6・7日の二日間で奉修されますが、二日目の午前9時に大客殿に入りました。最初に、【御生骨】と【雨の祈りの三具足】が正面の御前机の中央に安置され、そして大聖人を筆頭に御歴代上人の御真筆の御本尊が内陣・外陣の特設柱に奉掲されます。まず内陣中央に【師資伝授】の御本尊、それから内陣に大聖人の御真筆の御本尊が奉掲され、内陣の最後に大聖人と日興上人の御影。それから外陣に移って日興上人から第九世・日有上人までの御真筆の御本尊。そ…
最後の創価仏事の非常識は、【遺骨・納骨】の話だ。青年僧侶改革同盟(以下チンピラ坊主と呼ぶ)の書籍によると、庶民が遺骨を供養する風習は近世からで、納骨・墓参は成仏と無関係で、追善回向の為に遺骨は大事ではない。遺骨を大切に思うのは仏法ではなく人情であるとのことで珍しく正しいこと言っている。しかし遺骨は成仏に無関係といいながら日蓮正宗の遺骨管理が杜撰だとインネンを付けている。チンピラ坊主の理論なら遺骨管理は成仏に関係ないはずだなのだが仏教ではなく人情論をかざす。人情論で語るなら、葬儀に僧侶を呼ばず戒名や塔婆も不要とする創価仏事は人情として間違っているではないか。しかしチンピラ坊主共は正宗にインネンを…
文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人が宿屋入道を仲介として、「立正安国論」を北条時頼に提出し第1回の国主諫暁から42日目の8月27日、松葉ヶ谷の草庵で日蓮大聖人が念仏者たちに夜襲された松葉ケ谷の法難が勃発します。この時は弟子たちの護りによって難を逃れ下総国中山の富木常忍の許に身を寄せられます。この時に、大田乗明・曽谷教信が帰伏しています。翌年鎌倉に戻った大聖人を幕府は捕らえ(弘長元年(1261年)5月12日)、伊豆に流罪します。伊豆では、船守弥三郎が大聖人を護り、病気平癒祈願をきっかけに地頭・伊東八郎左衛門が帰伏し、海中より引き上げられた一体の釈迦立像物を御供養しました。この仏像が大聖人…
また汝、知らずや、本化上行菩薩におても内証・外用に約して二身ることを。そもそも外用に約すとは、既に述べたるが如く、文上本眷属の上行なり、(中略)次に、内証に約する上行とは、久遠元初名字の釈尊己心所具の上行菩薩なり。 1章16節は、日守の大聖人は上行菩薩の再誕(垂迹)であって本仏ではないという主張に対し日応上人が破折を加えています。いまの創価教義は日守と同じ邪義ですね。昔は日蓮正宗の教義をパクっていましたが、最近では身延日蓮宗の教義をパクっていて本当に創価の借りパク教義は無残です。さて日応上人は上行菩薩にも内証と外用があると言われています。外用とは法華文上に説かれる久遠実成の釈尊の本眷属の上行で…