日蓮宗系の仏教宗派。 総本山は大石寺。
現法主は第68世早瀬日如。
日蓮正宗の信徒団体であった創価学会の興隆により大いに栄えたが、1991年11月に創価学会を破門し、檀家数が激減し寂れている。独自の信徒団体として法華講がある。 日蓮宗系だけあって他宗教に不寛容で、信者となる場合は他宗教と関係するものの破棄を求められる(謗法払い)。
幼児の時にオート入会させられている二世や三世の創価学会員には入会動機はないだろうけど、自分で入会した創価学会員には入会や学会活動を始めた動機があると思う。私は入会時は単なるしがらみでの嫌々入会だったけど、大きな苦難に直面した時に大聖人の信心に最後の望みを託そうと思ったのが発心の切っ掛けです。最初は勤行唱題からはじめ、我家に家庭訪問に来る男子部長が「大聖人の仏法は御書を読めば分かる」と言ったので、およそ1か月かけて御書全編読みましたが全く理解不能。そしたら今度はその男子部長が「会合に来れば分かる」というので会合に参加したのが私の活動家への第一歩でした。組織では大聖人の仏法はあまり教えてくれずモヤ…
今、また人法の差別をを立てれば、すなわち差別なり。差別にして無差別、無差別にして差別なり。これをこれ中諦と言う。 本尊に人法を別々に立てると、人本尊は化諦・法本尊は空諦ですから、これだと中道(中諦)を明かさないので三諦が成立せず、蔵・通の二教の教えと同じになってしまします。仮に別に中諦の本尊を立てたとしても、それだと三諦が融和してないので、別教の「但空・但仮・但中」の「隔歴の三諦」の本尊となり、そうなると歴劫修行でなければ成仏できず即身成仏はできません。またそもそも別教を修行するためには、その前に菩薩の位に登らなければならず、末法の荒凡夫には実践不可能な修行です。大聖人の御本尊は人法一体だから…
日本の仏教史を俯瞰すると、権力によって保護されたり利用されたり迫害されたりと権力に翻弄された歴史に思えます。そんな日本仏教が一番の危機に晒されたのは、明治時代の【廃仏毀釈】だったのではないでしょうか。廃仏毀釈とは、慶応四年から明治元年までの神仏分離令といわれる一連の布告による「神」と「仏」の分離政策を為政者や市民が拡大解釈し、仏教の施設や慣習を破壊したことをいい、現在でも首を刎ねられた地蔵が残っていたり葬儀を神式で行ったりと当時の名残りが残る地域があります。各地で廃仏毀釈は行われましたが、特に厳しかった地域として水戸・佐渡・苗木(岐阜)・伊勢・土佐・隠岐・宮崎・鹿児島が挙げられます。水戸藩は水…
弘安元年から御入滅までも身延後期は蓮大聖人の一期の化導の正宗分になります。一般的には、身延入山後よりもそれ以前の四箇の法難、特に龍ノ口から佐渡流罪の時期が大聖人の御生涯の中心のように思えますが、化導の面から見れば龍ノ口を始めとする御法難はまだ序分にすぎず、弘安元年から戒壇大御本尊御建立までが大聖人の御生涯の正宗分なのです。そして戒壇大御本尊御建立以降現在に至るまでが流通分になります。御本尊を中心として大聖人の御生涯を俯瞰することが「化導の面」です。そして弘安元年以降が正宗分に当たるのは御本尊の相貌の変化で知ることができます。詳しくはまた別記事にしたい思いますが、御本尊の相貌及び仏滅度後の讃文が…
在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらわずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬・眷属充満して、我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給うらん。 今月の創価座談御書は以前に講義した御文なので過去記事をリンクしてあるのでそちらを読んでもらうということで、今月も創価学会員の為の御書要文講義を書きます。このシリーズでは創価学会であまり取り上ない(会員に知られたくない)御書要文を取り上げているので新鮮でしょ(笑)。さて今回は『四条金吾殿御書』の一節を学びましょう。創価ではこの御書の別名『盂蘭盆由来御書』と呼ぶけど、正宗では『施餓鬼御書』です。盂蘭盆の由…
もとより発迹顕本の本有無作の三身たる本仏宗祖にして、南無妙法蓮華経を所作とし給えばこそ人法体一し、本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と顕れ給うなり。しかして、この本尊出現の上は、無智の凡夫もただ信の一字にて仏乗を成じ、人法体一になることを得べきなり。 今回の御文は、本地難思・本有常在・事の一念三千の体とは、発迹顕本した御本仏としての日蓮大聖人の所作、即ち大聖人の色心二法であることを明かしています。日寛上人は『文底秘沈抄』で、「当流の意は事を事に顕す。是の故に法体是れ事なり」と御指南されています。日守や創価学会の様に南無妙法蓮華経の法を本尊に顕したという本尊義だと、法=理を本尊=事に顕すことに…
「広宣流布を分かっていない創価学会員」シリーズ第3弾は「どこで広宣流布をするのか分かっていない創価学会員」。創価学会は世界に広宣流布しているという学会員の自慢ネタある。創価は世界中に広がっているそれには引き換え・・と日蓮正宗を腐すのが定番だが、大石寺に御登山すると必ず海外信徒さんがいて日蓮正宗も世界に広がっていることを実感する。創価学会員は、日本での衰退を隠すためにすぐに「世界広布」といっているが、お前達の自慢する世界広布にお前達は1ミリも関わっていないだろう。他人の折伏成果を自分のことのように自慢するのは、個人折伏をほとんどしていない池田大作が「全部私がやりしまた」といっているのと同じ。流石…
我が家の6人の猫のうち一番最初に飼った一番年長のライムが13歳で虹の橋を渡りました。我が家の猫を見送ったのはこれで二人目で奇しくも一人目に亡くなったライムの子供のカルアと同じ5月4日が命日です。大人しくて控え目な男子で、我が家で唯一の純血種なので「ライム王子」と呼んでいました。全く苦しむことが無く最後は妻に抱かれて逝きました。今思い出しても泣けます。親や友人、ペット・・何でもそうですが、普段は死ぬなんて思っていませんからそれらを亡くした時の喪失感は大きいです。人間なら誰しもが、他者もそして自分自身もいつかは死ぬという事を知っています。犬猫などの動物には明確な「死の概念」ありません。「死の概念」…
先日、U元副部長とO元地区Lと3人で初めて大石寺の丑寅勤行に参加させていただきました。正宗に移籍して丑寅勤行は猊下の勤行で創価などの門外漢に丑寅勤行なんてないことを知り、それ以来ずっといつかは丑寅勤行に参加させていただきたいと思っていましたが、なかなか参加できない自分にモヤモヤしていました。そこで今月こそ丑寅勤行に参加させてうただこうと意を決したところ、U君・O君も参加するということになり三人での参加になりました。二人とも私が正宗へ移籍させた創価時代の後輩なので一緒に丑寅勤行に参加できて嬉しかったです。 ■関連記事▶丑寅勤行について。(創価に丑寅勤行などありません!) - 創価ダメだしブログ …
佐渡流罪から鎌倉に戻られた大聖人は文永11年4月8日に平左衛門と対面し殿中問答をしました。幕府は以前と打って変わって大聖人に対して懐柔策を弄しますが大聖人はそれを拒否し、3度の諫暁も幕府が用いなかったため、「三度国をいさむるに用ゐずば山林にまじわれ」との賢人の習わしに随い身延入山を決意され、文永11年5月17日に身延に入り、以降は令法久住の為の御準備を始めます。身延での9年間は化導の面からいうと建治三年までの4年間が前期、弘安元年から御遷化までの5年が後期に分類することができます。このことは御本尊の相貌の変化に見て取れます。身延前期の大きな特徴は三大秘法の開示です。身延入山後の最初の御書である…