もとより発迹顕本の本有無作の三身たる本仏宗祖にして、南無妙法蓮華経を所作とし給えばこそ人法体一し、本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と顕れ給うなり。しかして、この本尊出現の上は、無智の凡夫もただ信の一字にて仏乗を成じ、人法体一になることを得べきなり。 今回の御文は、本地難思・本有常在・事の一念三千の体とは、発迹顕本した御本仏としての日蓮大聖人の所作、即ち大聖人の色心二法であることを明かしています。日寛上人は『文底秘沈抄』で、「当流の意は事を事に顕す。是の故に法体是れ事なり」と御指南されています。日守や創価学会の様に南無妙法蓮華経の法を本尊に顕したという本尊義だと、法=理を本尊=事に顕すことに…