信心をしていてもなかなか願いが叶わず、苦しい時ってありますよね。こんな時には「自分の信心が間違えているんじゃないか?」「自分は大聖人仏法を下げているんじゃないか?」なんて色々なことを考えちゃいますよね。実は日蓮大聖人も同じことを思っていたのです。『開目抄』で、「世間の疑いといい、自心の疑いと申し、いかでか天扶け給わざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者には、さるになりとも法華経の行者とごうして、早々に仏前の御誓言をとげんとこそおぼすべきに、その義なきは我が身法華経の行者にあらざるか。この疑いはこの書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑いを強くして答えをかまうべし。…