戦前の陸軍軍人
1886年4月19日岐阜県生まれ 父は陸軍中将の大島健一。
幼少期より日本に滞在しているドイツ人の家庭に預けられドイツ語の教育とドイツ流の躾を受ける。
1905年 陸軍士官学校卒
1915年 陸軍大学卒
1934年 ドイツ大使館付武官就任
1916年 参謀本部転属
1921年 ドイツ大使館付武官補佐官
1923年 オーストリア公使館兼ハンガリー公使館付武官
1938年 ドイツ大使就任。ナチスとの接触を深め、外務省とは独自に軍部外交を進め、日独伊三国同盟を結び、枢軸外交を強めるために奔走。
1939年 独ソ不可侵条約が締結されて三国同盟問題が一時中断、大使を辞任。
1940年 再び大使として赴任.
1946年 極東裁判でA級戦犯として終身刑。
1955年 減刑、出獄。
出獄後、公職には就かず、茅ヶ崎海岸の松林の中にある父親の別荘に隠居。
1975年6月6日没。