*「貴公子」と呼ぶに相応しい近衛文麿(ウィキペディア) 【あらすじ】 1891年、公爵近衛篤麿の長男として生まれた近衛文麿は、学習院中等科から一高、東京帝大に進むも、マルクス経済学の河上肇や差別問題の学者が揃っている京都帝大に転学する。学習院で同窓だった木戸幸一や原田熊雄と京都でも同窓となり親交を深めた。25歳で世襲して公爵・貴族院議員となる。 1918年論文「英米本位の平和主義を排す」を発表し、翌年のパリ講和会議では人種的差別撤廃提案が否決され、欧米に対して否定的な見方が強まる。政治的活動を始めると、家柄に加えて高学歴や風貌、英米に追従しない主張で国民の人気も獲得していく。2・26事件の後次…