1942(昭和17)年4月18日、米空母「ホーネット」を発艦した16機の米陸軍爆撃機B-25は、突如東京を空襲した。この空襲は日本側の錯誤もあって、奇襲となってしまった。山本五十六連合艦隊司令長官がミッドウェー作戦実施を決意させた出来事として有名であるが、日本海軍は米軍の動きを全く察知していなかったのであろうか。「高松宮日記」には興味深い記述があったので紹介する。 1942年3月10日、「高松宮日記」に東京方面への敵空襲を懸念する記述がある。この日には、 〇桑港ラヂオ九日 「強力ナル聯合軍ハ太平洋ノ或方面ニ於テ日本側ニ大攻撃ヲ行ハント計画シアリト華府発表セリ」 〇「ラエ」「サラモア」に艦上機4…