4 修行とは気のはたらきを受け入れる「器」を作ること 師野口晴哉は「気」と「天心」について、 「天心は自然につながっているのです。だから使うほど良い。愉気というのは自分の力を人に伝えるのではなく、自然の力を通す窓のようなものなのです。だから光(気)を通す毎に窓はいよいよ開いて大きくなる。」(「無限なる愉気」『月刊全生』) と、また 「天心というのは大空がカラッと晴れて澄みきったような心だ。利害得失も毀誉褒貶も無い、自分の為も他人の為も無い。本来の心の状態そのままの心である。だから病気を治そうとか、早く良くなろうとか、もっと良くしようとかいう俗念を持ってはいけない。きっとよくなるという信念でも邪…