遠いむかし。地方の民が、 大蔵省へ馬で貢税《みつぎ》を運び入れながら 唄った国々の歌が 催馬楽《さいばら》となったといわれるが、 田楽ももとは農土行事の田植え囃子《ばやし》だった。 それがやがて、都人士《とじんし》の宴席に興じられ、 ついには近ごろの如く、 本座、新座などの職業役者をも生むような流行にまでなって来たものだとか。 「……東《あづま》より……昨日来たれば……妻《め》も持たず」 興にそそられた高氏が、 ふと、膝がしらを鼓として、指と小声で、踊りの曲を真似てると、 となりの遊女も、その流し眼に媚びを凝らして、おなじ節で。 「……着たる紺の……狩襖《かりあを》は要《い》らじ ……聟《むこ…