中宮 御産《ごさん》の際、 ご祈祷に精進した者たちには上から下までもれなく恩賞があって、 その労をねぎらった。 中宮の体も、ようやく元通りになったので、 中宮はふたたび六波羅から内裏に帰られた。 中宮に皇子が生れることは、 中宮の入内当初からの清盛夫婦の夢であった。 「いつか、皇子が誕生し、御位におつきになったそのときは、 外祖父、外祖母じゃ、 どうか早く皇子がお生れにならんものかのう」 この願がかなって、 目出度く男子出生したのも 日頃信心深い厳島の賜物かも知れなかった。 平家の厳島信仰の始りは、清盛が安芸守時代にさかのぼる。 まだ鳥羽院の御時、高野の大塔の修理を仰せ付けられ、 六年がかりで…