昨日の美術家も今日は三分刈りの丸頭で衛兵の立っている第三師団野戦砲兵第三聨隊の営門を潜ったのは明治三十四年十二月一日の午前七時頃だった。 六名の一年志願兵は第六中隊付となって教育を受ける事となった。 兎に角画筆より他に重い物を持った事の無い私は、暫くの間は一通りや二通りの苦痛では無かった。殊に乗馬隊を志願した私は馬という余分の物にも一苦労しなければならなかった。 初めの二ヶ月、三ヶ月は乗馬の訓練で尻の皮は張れ上がり、両股から膝までの所謂騎座という辺りは赤ムクとなって血がズボンの上まで染みていた。 一ヶ月の落馬回数が五十余回という素晴らしいレコードの保持者だけに大抵の教官は呆れていた。それ丈に馬…