葛飾北斎が手掛けた浮世絵。 天保年間に発表したこの作品は、36枚の「表富士」と10枚の「裏富士」で構成。 代表的なのは荒れ狂う波濤の「神奈川沖浪裏」といわし雲たなびく快晴の赤富士の「凱風快晴」が有名。
39 「駿州片倉茶園ノ不二」(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ) 本作品の題名となっている駿州とは駿河国を指すが、「片倉」という地名がどこを指すかについては長年不明な状態となっていたが、かつて静岡県富士市中野近辺に実在していたことが判明したのは現代になってからです。 茶摘みに精を出す女たち、茶葉を集めて運ぶ男たちなど人々の細やかな営みが表現されていて、あたたかな景色ですね・・・・。
38 「従千住花街眺望ノ不二」(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ) 本作品は日光街道と奥州街道の最初の宿場町である千住宿にあった花街からの富士山の眺望を描いています。手前を行く人々は、日光街道か奥州街道を通って国許へ帰る参勤交代の大名行列でしょう。右端の茶屋、畦道でくつろぐ農婦など、きめ細やかな表現がなされています。
37 「身延川裏不二」(みのぶがわうらふじ) 本作品は山梨県南巨摩郡身延町を流れる富士川からの富士山の眺望を描いたとされています。 波打つような急流河川の側の山深い脇道を旅人や駕籠、馬子などが多数往来している点から、日蓮宗総本山である久遠寺近郊の景観ではないかと。画題の「裏不二」とは山梨県側から見た富士山北麓を指す一般的な呼称だが、『冨嶽三十六景』の中で富士山北麓を描いた作品は複数あるものの「裏不二」と題している図は本作品のみである。
36 「五百らかん寺さゞゐどう」(ごひゃくらかんじさざいどう) 本作品は三大禅宗のひとつ、黄檗宗が亀戸村に建立した寺院である五百羅漢寺堂内に寛保元年(1741年)に築かれたさざい堂(三匝堂)からの富士山の景観を描いたものです。 さざい堂は、その構造がサザエの貝殻に似ていることから、さざい堂と呼ばれました。最上階からの眺望が話題となり江戸の町における名所のひとつとなっています。夏の装いの人々とは対照的に、富士山は下まで雪を頂き涼しげな姿です。
35 「隅田川関屋の里」(すみだがわせきやのさと) 本作品は東京都足立区千住曙町の京成関屋駅、牛田駅近辺に存在した村落、関屋の里からの富士山の景観を描いたものである。 菅笠を被り旅装束を纏った三人の武士が土手の上を馬で疾走する様子を切り取り、スピード感を感じさせる筆致で表現しています。富士山は朝焼けの赤富士で表現されており、早朝のせわしなさが感じられ、軽快な馬の蹄の音が聞こえてくるようです。
34 「東海道程ヶ谷」(とうかいどうほどがや) 本作品は東海道五十三次の宿場町である保土ヶ谷宿と戸塚宿の道程にある品野坂からの富士山の眺望を描いたものである。 富士山は片側の雪が解けており、晩春の時期を描いたものと考えられる。保土ヶ谷は武蔵国と相模国の境界にあたり、現代においては上り坂を権太坂、下り坂を品野坂と呼称しているが、江戸時代には明確な区分は無く、東海道の難所のひとつで、行き倒れる者も出たと言われるほどの急な坂だったと・・・・。
33 「隠田の水車」(おんでんのすいしゃ) 隠田とは東京都渋谷区神宮前、いわゆる原宿を指す地域を指し、江戸時代においては渋谷川(穏田川)が流れる農村地帯でありました。 本作品では渋谷川から引き込んだ水流を利用した水車小屋の周りで洗い物をする女性や粉挽きをするための穀物を運び入れる男性、亀を連れて遊ぶ子供など地域住民の暮らしぶりとそこから見える富士山の眺望が描かれています。のどかな田園風景です・・・・。
32 「甲州三坂水面」(こうしゅうみさかのすいめん) 本作品は山梨県南都留郡富士河口湖町から山梨県笛吹市御坂町をつなぐ御坂峠を下った先の河口湖湖畔からの眺望を描いたものとされます。 画面中央にはうの島、妙法寺が描かれ、湖畔の集落である勝山村と長浜村と思われる建物も確認できます。湖に映し出される逆さ富士が美しいです・・・・。
31 「相州箱根湖水」(そうしゅうはこねのこすい) 相州箱根湖水とは秋里籬島の名所図会『東海道名所図会』巻之五に登場する名称で、神奈川県足柄下郡箱根町にある芦ノ湖の別名です。 画面中央に大きく湖が描かれ、その湖畔には箱根神社と箱根駒ヶ岳が配置され、その奥に富士山が顔を覗かせています。富士山の左側は配置から三国山と思われます。湖は凪ぎ、人の姿は見えず、すやり霞の効果によって画面全体に静謐で神秘的な雰囲気が漂って、箱根権現の鎮座する芦ノ湖の神聖さがうかがえます。
30 「江都駿河町三井見世略図」 (えどするがちょうみついみせりゃくず) 駿河町とは現代の東京都中央区日本橋室町を指し、通りの正面に富士山が見える街並みから駿河国の名を冠した名が付けられました。 この地に呉服商として店を構えた三井越後屋(現三越)の屋根上で作業をする人々と正月の富士山の遠景を捉えた作品となっています。建物は西洋の透視図法を使って見あげるような高さを表現し、空を舞う凧が心地良いです・・・・。