葛飾北斎が手掛けた浮世絵。 天保年間に発表したこの作品は、36枚の「表富士」と10枚の「裏富士」で構成。 代表的なのは荒れ狂う波濤の「神奈川沖浪裏」といわし雲たなびく快晴の赤富士の「凱風快晴」が有名。
28 「相州江の嶌」(そうしゅうえのしま) 本作品は湘南海岸の東端、相模湾の沖合に浮かぶ江の島とそこから見える富士山の景観を描いており、干潮を待って砂州を渡って江の島と片瀬海岸を行き来する人々が表現されています。 島を俯瞰するように江の島の密集した家並や検校の杉山和一によって建立された三重塔が描き込まれており、定番の画題でありながらも北斎の独自性が発揮されている作品です。なお三重塔ですが、明治元年(1868年)に神仏分離令で壊され現存していません。
27 「東海道江尻田子の浦略図」 (とうかいどうえじりたごのうらりゃくず) 「駿州江尻」と同じく静岡県静岡市清水区に存在した東海道五十三次の宿場町である江尻宿をテーマとした一図であるとされています。 本図は、遠景には富士山とともに三保の松原と思われる緑の地が描かれており、浜辺には塩田で働く庶民の姿が小さく描かれています。裾野を長く引く雄大な富士山と、藍の線であらわされた波のうねりの表現は見事ですね。
26 「御厩川岸より両国橋夕陽見」 (おんまやがしよりりょうごくばしせきようをみる) 御厩川岸とは、浅草三好町付近に存在した河岸を指し、現代でいう東京都台東区蔵前近辺の地域となります。 本図は、渡し船を手前に大きく据えて、長い竿を持った鳥刺しや物売りなどさまざまな乗客を描いています。背景の両国橋や柳橋の町並みなどはシルエットとして表現していて、登場人物の視線の先の風景を、絵画を見た人々にも共有できるような工夫が凝らされています。手前の波の表現がいいですね・・・・。
25 「礫川雪ノ且」(こいしかわゆきのあした) 画題の礫川とは東京都文京区の西側にあたる小石川台と小日向台の間を流れる小石川下流地域を指しており、見晴らしの良い茶店で雪見を楽しむ江戸の町民の姿が描かれています。 雪晴れの朝の美しさが描かれ、『冨嶽三十六景』の中で雪景色を収めた唯一の作品となっています。空を飛ぶ3羽の鳥がアクセントとなっています。
24 「東海道吉田」(とうかいどうよしだ) 『三十六景』全図の内、「常州牛堀」「尾州不二見原」に次いで、富士から3番目に遠い位置(約140km)より描いています。 まるで客席から舞台を眺めるように正面から茶屋の店先を捉え、その中に富士山をさし示す茶屋女と旅の女性客、草鞋を打つ人などを配置しています。見る人の視線が自然に富士山に向います。
23 「登戸浦」(のぼとうら) 登戸浦はかつて千葉県千葉市中央区に存在した入江で、江戸時代には交通の要衝として繁栄していました。 鳥居の間から富士を望み、作品内には大小相似の鳥居が描かれ、潮干狩りに興じる家族の姿や仕事に励む漁師の姿が描かれています。それらの、楽しげな姿にほっとします・・・・。
今日は大阪市立美術館で日本国宝展野初日を鑑賞(^^) 教科書で習った金印「漢委奴国王」を生まれて初めて見ました♩ 日本で一番小さい国宝だそうです。 行列が出来てました。 買い物は富嶽三十六景と大阪関西万博ミャクミャクコラボのトートバッグをゲット。 ミャクミャクが波に乗ってる姿が可愛すぎます♩
22 「上總ノ海路」(かずさのうなじ) 上総は現在の千葉県中央部にあたり、東京湾側に限ると、北から、千葉市、市原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市、富津市が該当する。画題の富嶽は遠景の水平線上にあり、上総側から見ていることになります。 木更津船を画面いっぱいに真横から描き、もう一艘を小さく奥に描くことで遠近感を、背景に湾曲した水平線を配置することで広大な海原を表現しています。
21 「下目黒」(しもめぐろ) 本作品の画題となっている下目黒は、東京都目黒区下目黒を指し、江戸時代は江戸幕府の御鷹場が置かれた、起伏に富んだ丘陵地であります。 稲刈りが終わった秋の季節、手に鷹を乗せた鷹匠の姿と近隣の農夫家族の姿が描かれており、のどかで牧歌的な農村風景です。私はこんな昔からの風景が好きです・・・・。
20 「相州梅沢左」(そうしゅううめざわのひだり) 相州梅沢とは神奈川県中郡二宮町の梅沢地区近辺、東海道五十三次の大磯宿と小田原宿の中間に位置する立場を指す地名です。 羽を休める5羽の鶴と飛翔する2羽の鶴と富士山を描いていて、風景画というよりも吉祥画としての趣が見て取れます。